なんで犬は負けるけど猫は負けないのか

とか「暴論:「負け犬」男性を救え!」というのを読みながらどうでもいいことを考えてみたら犬は群れて上下の関係が厳しいからけんかして勝ち負けを決めていくけど猫は群れないからそんなことはないというあたりまえの結論に

一世を風靡したこの「負け犬」ということば、もともと女性を指したものだったから当然といえば当然だが、女性にばかり関心が集まっているように思う。しかし、「負け犬」ということばで連想すべきなのは、むしろ男性のほうではないのか、といった考えが前からずっと頭にあった。

まわりの女性を観察するに確かに群れはするけど女性の群れの中にはあんまり上下の関係がきっちりしてなくて女王さまととりまきという図式はあるけど取り巻きの上下ってないような

男性の場合は群れてしかも上下のきっちりした組織にしたがる傾向が見られるので確かに犬に例えるなら男性の方が正しい気がするけどこのあたりで本題からずいぶんずれていきつつ

曰く、おめがねにかなう男性が現れないから「負け犬」を選択せざるを得ない、と。男性もっと努力しろ、と。ある意味マッチョな考えだが、実際のところ、男性の未婚者には所得の低い層が多く、女性の未婚者には所得の高い層が多いという話も聞く。むろん問題は経済力だけではないが、期待と現実のミスマッチが問題のひとつであるとはいえるのではないか。男性だってつらいのだ。

まさに「萌える男」他での問題にしてるのが今まで自分が見捨ててた男性陣におまえがしっかりしないから我々が結婚できないとかいう主張でそこまでは同じだけどここでは日本女性を捨てて外国籍女性を男性が選ぶことも避難できまいという結論

そこで何が暴論かというとこのあたり

結婚を「市場」としてみたとき、これは農業などで典型的な、輸入自由化と国内産業保護の問題と似た構図を持つ。

けど「市場」と言われるとなんだか納得してしまったり
てか就職市場と思うと「希望最低賃金」=「夫の稼ぎ」以外の何でもないという

いろいろすっとばして雑に考えると結婚市場全体が冷え込んでいるということから「負け犬男性問題(非モテ問題)」=「不景気問題」なのでここで政府がシステムとしてマクロに介入するのか個々人がモテるように努力せよとミクロに介入するかで大きく意見が分かれるところである