信じる心は鋼を飛ばす

まず水を落ちた犬(JAL)を叩く話ではないとお断り

妻が普段飛行機なんてあんな重いものが空を飛ぶはずがないみんなが飛ぶと信じてるから飛ぶんであって誰かが信じなくなった落ちちゃうんだーと公言してはばからないので「一応確認しとくけどおもてでそんなこと言っちゃだめだよ」と諭してきたものの最近ちょっとだけ思いなおしたり

飛行機だけじゃなくて機械つくったり燃料とか電気とかIPとかを流したりするような仕事でも初めのころは一人でいろんなことをやらないといけなかったりやり方が決まってないのでみんなであーでもこーでもと悩みながら細かい決まりを作っていくというのが一般的でこのころは決まりを守ることが仕事にどう関係するのかがよくわかってるのでひとつひとつの決まりを信じて守ることができる

でも時間が経って所帯が大きくなってくるとがんばって決まりの意味を伝えるんだけどちょっとした失敗くらいをするのが決まりの意味を身体で覚える一番の経験なのに改善の積み重ねで失敗も無くなって来る

とか言っている間に景気が悪くなって年寄りの人をやめさせると決まりを守るという意味がきちんと伝わらなくなって自分のしてることが仕事全部の中でそれなりに大事なことだったとしてもそのこと自体を信じられなくなってくる

飛行機の話に戻って末端の作業者がたとえばネジをしめることひとつが飛行機を飛ぶことと関係してると信じられなくなってただなんとなく飛ぶもんだと思い始める

こうして信じる心が無くなっても飛行機は飛ぶだろうか

とここまで書いて飛行機は7割がたアルミ合金でできてるということがわかったというオチ